2019年3月26日火曜日

読書記録:ブッダの真理のことば 感興のことば

2019/03/26 19:57:57 JST





















2019/03/20 Wed 01:11:26

ブッダの
真理のことば
感興のことば

ワイド版 岩波文庫 40

訳者  中村 元
発行所  株式会社 岩波書店

ISBN 4-00-007040-1

1991年6月26日  第1刷発行
2018年1月15日  第19刷発行


始めにページをパラパラめくってみた感想としては・・・

・想像していたよりも文字が小さい。 3x3mmぐらいか。
ワイド版でこのサイズということは、 通常版ではどれだけ小さいのだろう。
あと、 フォントが古くさい。
印刷も不安定。
本の上辺の裁断も凸凹しているし、 岩波文庫の製本技術はあまり高いとは言えないな・・・・・。
文庫なんてどこも似たようなもんかな・・・・・。
先行き不安・・・・・。


01:24:29
とりあえず読み始める。


01:37:33
まだ1行も読めてない。
カバーが動くのが煩わしかったのでマスキングテープで本体に固定した。
あとは、 今回他にも買ったOCD関連の本や瞑想関連の本に買った日付を書いたマスキングテープを貼り付けたりして、 それが終わってこれからようやく読み始める。


01:47:36
訳注の嵐。
本文よりも訳注のほうが長い。
本文と訳注を行ったり来たりするのが疲れる。
これはだいぶ時間がかかりそうだ・・・・・。

「真理のことば」の本文は10~69ページまで(全59ページ)。
訳注は71~154ページまで(全83ページ)。
ページ数にしたら24ページも訳注のほうが長い。


02:02:49
第一章の九、 「汚物」の訳注面白い。


02:11:32
どうしようか・・・・・。
訳注をいちいち読んでいては、 本文が全然頭に入ってこない。
一度本文を通して読んでしまって、 訳注は後から読むことにする。


2019/03/23 02:56:19
神という言葉がたびたび出てくるのが、 少し気になる。


03:12:34
69ページまで読み終わった。
ここまでが真理のことば(ダンマパダ)。

これより「真理のことば 訳注」を読み始める。


03:23:22
アルファベットが右に90度傾いた状態で表記されていて、 とても読みにくい。


04:28:49
真理のことば 訳注、 難解。
ほとんど流して読んでしまった。
学者を目指しているなら話は別だが、 普通の人間がこんな難解な文章を読んでも、 一文だって覚えていられるわけがない。

次から「感興のことば(ウダーナヴァルガ)」を読み始める。


19:44:23
感興のことば読み終わった。
これから感興のことば 訳注を読み始める。


2019/03/25 20:47:00
読了。


読書期間  2019/03/20 01:11:26 ~ 03/25 20:47:00


読後感想:

・・・どうだろうか・・・・・。
私は、 仏教の基本教義を読んだ後でこの本を読んだのだが、 特にこれと言って新たな発見は無かった。
それはつまり、 現代に伝わっている仏教の基本教義が、 仏教の要点をうまくまとめているということなのかもしれない。
だから、 まずは基本教義を読んだほうが時間の節約になるかもしれない。

ダンマパダは、 現時点で発見されている経典の中では最古のものに分類されるらしいが、 それはやはり「経典」であり、 ブッダの考えではないと思う。

仏教的思想を美しい詩で読めたのは楽しかったが、 特に得るものは無かった。





お気に入りの詩を書きだしてみる。


ダンマパダ

※詩の頭に振ってある数字は、 本の中では全て漢数字です。 私は便宜上アラビア数字を用いました。

19  たとえためになることを数多く語るにしても、 それを実行しないならば、 その人は怠っているのである。 ━━━ 牛飼いが他人の牛を数えているように。 かれは修行者の部類には入らない。

50  他人の過失を見るなかれ。 他人のしたこととしなかったことを見るな。 ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。

69  愚かな者は、 悪いことを行なっても、 その報いの現われないあいだは、 それを蜜のように思いなす。 しかしその罪の報いの現われたときには、 苦悩を受ける。

163  善からぬこと、 己れのためにならぬことは、 なし易い。 ためになること、 善いことは、 実に極めてなし難い。

167  下劣なしかたになじむな。 怠けてふわふわと暮すな。 邪な見解をいだくな。 世俗のわずらいをふやすな。

186  たとえ貨幣の雨を降らすとも、 欲望の満足されることはない。 「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。

214  快楽から憂いが生じ、 快楽から恐れが生じる。 快楽を離れたならば憂いが存在しない。 どうして恐れることがあろうか?

221  怒りを捨てよ。 慢心を除き去れ。 いかなる束縛をも超越せよ。 名称と形態とにこだわらず、 無一物となった者は、 苦悩に追われることがない。

283  一つの樹を伐るのではなくて、 (煩悩の)林を伐れ。 危険は林から生じる。 (煩悩の)林とその下生えとを切って、 林(=煩悩)から脱れた者となれ。 修行僧らよ。

304  善き人々は遠くにいても輝く、 ━━━ 雪を頂く高山のように。 善からぬ人々は近くにいても見えない、 ━━━ 夜陰に放たれた矢のように。

314  悪いことをするよりは、 何もしないほうがよい。 悪いことをすれば、 後で悔いる。 単に何かの行為をするよりは、 善いことをするほうがよい。 なしおわって、 後で悔いがない。



ウダーナヴァルガ

※詩の頭に振ってある数字は、 本の中では全て漢数字です。 私は便宜上アラビア数字を用いました。

1-10  老いた人々も、 若い人々も、 その中間の人々も、 順次に去って行く。 ━━━ 熟した果実が枝から落ちて行くように。

1-20  「わたしには子がいる。 わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。 しかし、 すでに自分が自分のものではない。 ましてどうして子が自分のものであろうか。 どうして財が自分のものであろうか。

1-32  歩んでいても、 とどまっていても、 ひとの命は昼夜に過ぎ去り、 とどまりはしない。 ━━━ 河の水流のようなものである。

1-36  この身体に何の用があろうか? ━━━ いつも臭穢を漏らし、 たえず病いにおそわれ、 老いと死におびえているのに。

1-41  「わたしはこれをなしとげた。 これをしたならばこれをしなければならないであろう。」というふうに、 あくせくしている人々を、 老いと死とが粉砕する。

2-7  世間における種々の美麗なるものが欲望なのではない。 欲望は、 人間の思いと欲情なのである。 世間における種々の美麗なるものはそのままいつも存続している。 しかし思慮ある人々はそれらに対する欲望を制してみちびくのである。

2-14  欲望によっては満足することがないから、 明らかな智慧をもって満足するほうが勝れている。 明らかな智慧をもって満足した人を、 愛執が支配することはできない。

5-13  もしも自分を愛しいものだと知るならば、 自分を悪と結びつけてはならない。 悪いことを実行する人が楽しみを得るということは容易ではないからである。

5-18  どの方向に心でさがし求めてみても、 自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。 そのように、 他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。 それ故に、 自分のために他人を害してはならない。

5-19  すべての者は暴力におびえている。 すべての(生きもの)にとって生命が愛しい。 己が身にひきくらべて、 殺してはならぬ。 殺さしめてはならぬ。

8-8  善いことばを口に出せ。 悪いことばを口に出すな。 善いことばを口に出したほうが良い。 悪いことばを口に出すと、 悩みをもたらす。

9-3  もしも汝が苦しみを恐れるならば、 もしも汝が苦しみを嫌うならば、 あらわにも、 あるいは秘密にでも、 悪い行ないをなすな。

9-14  もしも或る行為をしたのちに、 それを後悔して、 顔に涙を流して泣きながら、 その報いを受けるならば、 その行為をしたことは善くない。

9-16  自分の幸せだけをもとめる人々は、 笑いながら悪いことをする。 しかし、 かれらはのちに苦しんで、 泣きながらその報いを受ける。

14-11  実にこの世においては、 およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、 ついに怨みの息むことがない。 堪え忍ぶことによって、 怨みは息(や)む。 これは永遠の真理である。

16-1  未来になすべきことをあらかじめ心がけておるべきである。 ━━━ なすべき時に、 わがなすべき仕事をそこなうことのないように。 準備してなすべきことをつねに準備している人を、 なすべき時になすべき仕事が害うことはない。

18-3  (単に)一つの樹を切るのではなくて、 (煩悩)の林を切れ。 危険は林から生じる。 (煩悩の)林とその根とを断ち切って、 林(=煩悩)から脱れた者となれ。 修行僧らよ。

18-6  うるわしく、 あでやかに咲く花でも、 香りの無いものがあるように、 善く説かれたことばでも、 それを実行しない人には実のりがない。

18-9  他人の過去を見るなかれ。 他人のなしたこととなさなかったことを見るなかれ。 ただ自分の(なしたこととなさなかったこととについて)それが正しかったか正しくなかったかを、 よく反省せよ。

18-14  花を摘むのに夢中になっている人を、 死がさらって行くように、 ━━━ 眠っている村を、 洪水が押し流して行くように ━━━

20-4  怒りたけった人は、 善いことでも悪いことだと言い立てるが、 のちに怒りがおさまったときには、 火に触れたように苦しむ。

20-10  他人が怒ったのを知って、 それについて自ら静かにしているならば、 自分をも他人をも大きな危険から守ることになる。

20-11  他人が怒ったのを知って、 それについて自ら静かにしているならば、 その人は、 自分と他人と両者のためになることを行なっているのである。

20-12  自分と他人と両者のためになることを行なっている人を、 「弱い奴だ」と愚人は考える。 ━━━ ことわりを省察することもなく。

20-13  愚者は、 荒々しいことばを語りながら、 「自分が勝っているのだ」と考える。 しかし謗りを忍ぶ人にこそ、 常に勝利があるのだ、 と言えよう。

20-19  怒らないことによって怒りにうち勝て。 善いことによって悪いことにうち勝て。 わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。 真実によって虚言にうち勝て。

24-1  無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、 聞いて心の静まる有益なことばを一つ聞くほうがすぐれている。

25-11  どのような友をつくろうとも、 どのような人につき合おうとも、 やがて人はその友のような人になる。 人とともにつき合うというのは、 そのようなことなのである。

25-23  称讃してくれる愚者と、 非難してくれる賢者とでは、 愚者の発する称讃よりも、 賢者の発する非難のほうがすぐれている。

26-17  見られたことは見られただけのものであると知り、 聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、 考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、 また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、 苦しみが終滅すると説かれる。

27-10  すでに得たものと、 これから得られるはずのものと ━━━ この二つは塵ほこりであり、 病いであると知って、 心を安定統一した智者は、 それを捨てよ。

28-16  善からぬこと、 己れのためにならぬことはなし易い。 ためになることで、 しかも健全なことは、 実に極めてなし難い。

28-21  人がもしも悪いことをしたならば、 それを繰り返すな。 悪事を心がけるな。 悪がつみ重なるのは苦しみである。

28-23  善をなすのを急げ。 悪から心を退けよ。 善をなすのにのろのろしたら、 心は悪事をたのしむ。

29-5  (経験するものを)実質のある物だと思って、 走り近づいて行くが、 ただそのたびごとに新しい束縛を身に受けるだけである。 暗黒のなかから出て来た蛾が(火の中に)落ちるようなものである。 かれらは、 見たり聞いたりしたことに心が執著しているのである。

29-17  森は楽しい。 世の人々はここで楽しまないが、 情欲のない人々はここで楽しむであろう。 かれらは快楽を求めないからである。

29-19  善き人々は遠くにいても輝やく、 ━━━ 雪を頂く高山のように。 善からぬ人々は近くにいても見えない、 ━━━ 夜陰に放たれた矢のように。

29-37  情欲にひとしい激流は存在しない。 (不利な骰の目を投げたとしても、)怒りにひとしい不運は存在しない。 迷妄にひとしい網は存在しない。 妄執にひとしい河は存在しない。

30-30  つまらぬ快楽を捨てることによって、 広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、 心ある人は広大な楽しみをのぞんで、 つまらぬ快楽を捨てよ。

31-30  人が快楽に耽り、 官能にしたがい、 心のままに動くならば、 この世で名誉はいつもかれを捨て去る。 ━━━ 果実の落ちてしまった木を、 鳥が立ち去るように。



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